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8月16日講演会と総会を開催しました。報告3・総会資料

  • 執筆者の写真: uaeldercarejp
    uaeldercarejp
  • 2025年8月31日
  • 読了時間: 13分

更新日:2025年12月28日


講演会、総会の報告です。

在日ウクライナ人のオレナさんからは、避難者の母のこと、侵攻直前、故郷に荷物を送れなくなっていたことのショック、ソ連人として育った子供時代のことなどについて、キーウNGOパトリオットのマリア・ビラさんからは、前線近くに住む高齢者が忘れられていないことを伝える活動、両国の未来の協働への期待などが語られました。




<代表世話人 高橋龍太郎 挨拶>

会を始めるにあたり、3日前に来たある手紙を紹介したいと思います。

米国在住の親友パトリシア・リアーさんからのもので、共同研究の成果である”With T heir V oices R aised”という朗読劇上演をニューメキシコ州のSite Museum in Santa Feが興味を示しているので紹介文を作ってみたというものです。ここは1945年7月、マンハッタン計画を主導したオッペンハイマーが人類史上初めて核爆発実験をしたところで、グランドゼロ、爆心地はトリニティー・サイトと呼ばれています。

1995年、東京都老人総合研究所 都老研、現東京都健康長寿医療センター研究所の看護学研究室で看護研究を始めるにあたり、当時テキサス大学にいたパトリシア・リアーさんに3ヶ月滞在してもらい、脳卒中でリハビリテーションを受けている高齢者に「健康とはどういうことか」「健康であることの意味とはどんなものか」を4分間語ってもらい、同時にトノメトリーという機器で毎心拍ごとの血圧を測定し、分析しました。その結果は学術論文に発表したのですが、同時に、語りの内容をみていくと驚くべきことがわかりました。私たちは、脳卒中になった不自由さや辛さが語られると予想していましたが、多くの高齢者はアジア太平洋戦争中の苦労、苦痛、悲惨さについて触れ、脳卒中は眼中にないかのような語りになっていました。



研究に参加した高齢者にとって、健康で生活することの意味は半世紀前の戦争体験に深く結びついていることがわかりました。私たちは、お互いに敵と味方に分かれていた日米双方の人々にインタビューし、戦争と人々を考える研究を計画しました。日本被団協、米国真珠湾生存者協会の協力の下、東京と広島の被爆者、ハワイとフロリダの生存者それぞれ約40名の方々に、体験についてインタビューを行い、学術論文としてまとめました。しかし一般の人々が学術論文を読むことなどはないので、成果を広く普及するため、大学院生だったケイティ・モリスさんに依頼してインタビュー内容を脚本化してもらったのが前述の“With T heir V oices R aised”です。実際の上演パフォーマンスは、2012年から 2016年にかけて、広島市舟入高校生が京都国際会館で、フロリダのフロリダ・アトランティック大学で、モリカミ美術館の日本庭園で、ハワイ・バーリントン高校生が真珠湾航空博物館で行い、日米の多くの方々に観ていただきました 。

ウクライナ戦争は、ウクライナ、ロシア双方の人々の生活に生涯大きな傷を残します。難しいことは分かっていても早く終わることを願わずにはいられません。

平和は祈るものではなく、働きかけるものです。



<ウクライナの人々から>

オレナ・スヴィドラン(日本在住ウクライナ人)


ウクライナ・ドニプロ州出身オレナ・スヴィドランです。2007年に来日して英会話教室

や学校などで英語教育に関わってきました。現在は川口市内の高校に勤めています。ウク

ライナへの全面的侵攻が始まってから、ウクライナ支援団体に関わり、日本に避難してい

るウクライナ人の相談などの活動をしてきました。隣はウクライナから日本に避難してき

た母のイリナ・スヴィドランです。ウクライナ人として皆さんにお伝えしたいメッセージ

は2つあります。1つは感謝の言葉。2つ目は、ロシアを信用、信頼しないでください。


●郵便局で荷物を受け付けられなかったショック

2022年、全面的侵攻1週間ぐらい前、ウクライナにいる家族に日本のお菓子を送ろうと近所の郵便局に行ったらウクライナには今何も送れないですと言われた途端、全身に冷や汗と涙がでて動けなくなりました。涙で周りが見えないまま郵便局を後にしました。それから3年間半、この冷や汗も涙も止まらず、家族や友人、母国のことを考える毎日が続いています。 私の母、兄の妻とその2人の娘が海外への避難を納得してくれたのは3月末でした。避難ラッシュで、国連難民事務所によるとその時点での国内避難者は約648万人、海外避難者は380万人、日本政府は、3月中だけで351名を受け入れました。私も家族が日本に避難できないか、外務省とも何回か電話してやり取りしました。毎回丁寧にお話ししていただいて、折り返しの電話もいただいたことは、大変心強かったです。今でもその時外務省でウクライナ担当をしていた方にとっても感謝しています。家族でも友人でもない方が、一生懸命に援助しようとしてくれるのは大きな力であると実感しました。対岸の火事と思えば何もできないかもしれないけれど、心からの努力であればきっと誰かの力になることに違いないでしょう。今日ここに集まっている皆さんの努力も、海の向こうにいる高齢者の方々はその力を感じていると信じています。

家族の話に戻りますと、3月末に避難しようとしました。2日間は駅の人が多すぎて電車まで進めず、3日目にやっと乗れ、立ったままウクライナ西部への長い旅を始めました。電車は何時間も止まったり、何もないところで他の電車に乗り換えたりして、深夜にようやくヴィンヌィツァ市に到着しました。駅の床で寝て次の日リヴィウ市に向かいました。そこから知り合いが車でスロバキア国境まで送ってくれました。さらに別の友人が避難先へ送ってくれました。その後、義理の姉と姪たちはスロバキアに残り、私の母は日本へ移動することになりました。


●日本政府の今までにない生活支援に感謝

来日したのは4月16日でした。幸い渡航費や生活費は支援団体からいただいたので、本人が心配していた娘の家族に迷惑をかけることなく日本での生活をはじめられました。この支援があったことはとても大きかったです。自治体の市営住宅への住居支援もとても助かりました。今でも助かっています。生活費や住宅支援には大変感謝しています。もしそれがなければ、母はウクライナに留まり、先月ふるさとに落ちたミサイルの犠牲者になっていた可能性もあります。恩返しできないほどの助けをいただいたと心から思っています。

母と同様、その支援団体から約2000人のウクライナ避難者に渡航費、3年間の生活費、住環境整備費が支払われており、日本で生活をし始めるのにとても良い支援だと思います。日本が他の国の避難者や難民の受け入れにこんなに力を入れたことは初めてです。様々な企業、一般の方々からも大いに助けれたことは忘れることはありません。

日本の入国管理局によると、2022年3月から先月まで2800人のウクライナ避難者の入国登録があり、そのうち900人ぐらいは帰国もしくは他の国に移動しました。現在日本で残って生活しているのは1900人ぐらいです。その内60代以上の方は389人です。母と同様に日本に家族がいて来日した方々です。母のように元気であれば 、仕事をしてしっかり税金まで納めて受け入れの恩返しを少しでもできるでしょう。

母は元気です。近くで畑を借りて、孫と一緒に楽しんでいます。週に2~3回キッチンスタッフとして三鷹駅近くにあるウクライナカフェで働いています。ここで母に自己紹介をしてもらいます。


イリナ・スヴィドラン(避難者、埼玉県在住)

こんにちは。はじめまして。イリナです。私はウクライナから2022年4月来ました。今カフェ・クラヤヌィで 仕事をしています。



母の日本語はこれぐらいしかできないんですけど、ウクライナカフェみたいに日本語学習が難しい高齢者やウクライナ避難者に就支援を行っている会社には感謝しかありません。そして、もっと苦しい状況にいるウクライナに残っている高齢者の方々は、孫とこういう風に楽しむことができるという疑問が浮かびます。そのような高齢者に支援を行っている皆さんには心から感謝を申し上げます。


●ソ連に財産を奪われ移住を強いられた祖父母

2つ目は、ロシアを信用、信頼しないでくださいとのメッセージです。私が生まれたのは1983年、ウクライナにある工場の町です。ウクライナ人のアイデンティティを守ろうとする家族や環境ではなく、ソ連のプロパガンダと抑圧の下で育ちました。祖父家族の財産はソ連に取られて実家を燃やされ、ふるさとのポルタヴァからドニプロに避難したことを私が初めて知ったのは、全面的侵攻が始まってからです。孫に伝える必要ないと思ったか孫を守りたいと思ったか、どんな理由だったか、今となっては永遠の謎になりました。

伝統的な衣装や飾りなど一つも残ってなかった、ウクライナ人としてのアイデンティティも残ってなかった家族です。ロシア語を話し、1991年のウクライナ独立でパスポートの国名が変わっただけの家族でした。ウクライナ語は曾祖父たちとザポリージャ州の親戚ぐらいが話していました。小学校四年生からウクライナ語という教科が始まりました。自分たちの過去を忘れ、自分たちのアイデンティティを捨て、祖父母と両親は皆ソ連人でした。

ウクライナが独立してからも、ロシアを信用してましたので2022年の侵攻は裏切られたとショックを受けました。


●ロシアによるザポリージャ原発の攻撃拠点化

ブチャの虐殺、イジュームの集団墓地、マリウポリ包囲と占領、カホウカダムの破壊、略奪されたへルソン博物館、産科や小児科病棟への攻撃、マンションや住宅街への攻撃、民間インフラ破壊、子供の誘拐、捕虜の拷問や殺害など数えきれない戦争犯罪や非人道的行為を許すことは出来ません。

ふるさと近くにあるドニプロ州のニコポリ市は、あまり報道されていませんが、毎日攻撃を受けています。ロシア軍は川の向かい側にあるヨーロッパ最大のザポリージャ原子力発電所を占領し、そこからドローンを飛ばしてニコポリ市を戦闘練習場にしています。武力攻撃で隣の国を占領し支配しようとしている者に平和という言葉を使う権利はありません。ロシアが2014年にクリミア併合を行った際、クリミアにはロシア軍はいないと言いましたが、いたんです。2022年2月、訓練と言っていましたが、結局直接の攻撃でした。軍事施設を狙った攻撃しかやっていないと言っていますが嘘です。 ロシアは嘘を重ねた上に嘘を加えて外交を展開してますので、一言も信用しないでほしいです。私の家族は、全員、ウクライナのアイデンティティを持てずソ連人でした。ロシア語を話し、ロシア人と交流し、ロシアに行ったり、ロシアと仲良くしていた家族でした。

ロシアは今すぐウクライナから出てください。私のウクライナ人のアイデンティティを取り戻したいです。高橋さんが言っていた通り、平和を取り戻すには働きかけることです。言葉だけではなく力も必要です。皆さんの力は本当に心強いです。

ありがとうございました。



<ウクライナ・キーウの連携組織Patriot から>

スタッフのマリア・ビラ  通訳 金丸晶子


皆さま、こんにちは。

本日は、この戦争の中で見えにくい存在となっている人々についてお話しします。それは、日々自宅で生き延びるために奮闘しているウクライナの高齢者たちです。彼らは、適切な保護も支援も、最低限の生活環境さえも与えられずに取り残されています。私の名前はマリア・ビラと申します。私は『パトリオット』という市民団体に所属しています。当団体は支援を必要としている人々を守り、支えるために、11年間以上活動してきました。2014年から私たちはウクライナ社会の強靱性を高めることを目的とした人道支援、安全 確保支援、教育支援を実施してきました。医療従事者、軍人、負傷者、子どもたち、障害のある方々、そして戦時下で孤立しがちな高齢者を支援しています。



●見捨てられていないと伝えるために

2022年、ロシアがウクライナに全面侵攻したとき、私たちの活動へのニーズはさらに高まりました。国家が前線に注力せざるを得ない状況の中で、民間人特に高齢者のケアを担う責任が、市民社会の肩にかかっていると私たちは理解しました。戦争とは、前線での戦いだけではありません。それは喪失、苦しみ、そして最低限の生存をかけた闘いの無数の物語でもあります。高齢者は大きな被害を受けています。多くの人が住居を失い、家族を亡くし、また身体的な制限により危険地域から避難することができません。彼らは、壊れかけた家に取り残され、医療や薬、衛生用品へのアクセスすらありません。贅沢を求めているのではありません、ただ見捨てられていない、無視されていないと感じられる最低限の支援を求めているのです。


●食べ物、薬、衛生用品のいずれを選ぶかという選択

社会が高齢者にどう接するかは、その国の成熟度を示す指標です。日本は、高齢者が尊敬され、大切にされている国の好例です。長く、尊厳ある人生を送れるのは、文化と国家政策が支えているからです。ウクライナも、いつかそのような未来を夢見ています。しかし今は、最も基本的なこと大人用おむつ、吸収パッド、衛生用品のために闘っています。

2024年10月、私たちは龍太郎さんと江刺さんに出会いました。彼らは手ぶらではなく、心のこもった贈り物寝たきり高齢者のためのクリームやレッグ・ウォーマーを持ってキーウに来てくださいました。彼らの最初の質問はシンプルかつ誠実でした。「私たちは、他に何をしてあげられますか?」その答えは明白でした衛生用品です。今、前線地域ではそれが贅沢品になっているからです。皆さまのご支援のおかげで、私たちは合計で14,000ドル相当の人道支援を購入・配布することができました。その内訳は以下のとおりです。


大人用おむつ:751パック 

吸収パッド:246パック 

ウェットティッシュと手袋:1015パック 

洗浄ローション:8パック


これらは、ミコライウ州、ヘルソン州、ドニプロ州、ザポリージャ州の病院、診療所、農村地域に届けられました、いずれも前線地域です。この支援によって、水道が止まっている地域でも高齢者が最低限の衛生を保ち、褥瘡(床ずれ)を防ぎ、戦争下でも個人としての尊厳を守ることができます。多くの高齢者が前線地域から避難できない現実があります。経済的な理由で、国家も親族も移動や避難先の確保ができないのです。2025年4月時点で、ウクライナの平均年金は月6341フリヴニャ(約 23,000円)で、3人に1人は 3340フリヴニャ(約12,000円)以下しか受け取っていません。一方、大人用おむつ1パック(30枚入り)は、ブランドや品質によって500~700フリヴニャ(約1700~2500円)もかかります。食べ物、薬、衛生用品のいずれを選ぶかという苦渋の選択を迫られているのです。私たちは、メーカーから直接購入することで、価格を半額近く安く抑えることが可能です。その結果、より多くの人々に支援を届けられるのです。「困っている人々へのケア」プロジェクトの一環としてボランティア、支援者、パートナーと共に、問題を抱えて孤立している人々を支援するために全力を尽くしています。これらの数字はきっと皆さんの心に響くものだと確信しています。


●ウクライナと日本の未来の協働へ

もう1つご紹介したい重要なプロジェクトは、ザポリージャ市にある「パトリオット・シェルター」です。これは、戦争や占領により住まいを失った人々の避難所です。現在、シェルター は多くの高齢者、障害のある方々、そして大家族の一時的な住まいとなっています。安全な場所、適切な生活環境、心理的支援、その他必要な支援を提供しています。

もちろん、こうした活動はパートナーの支えがなければ実現できません。特に日本ウクライナ友好協会KRAIANYの皆さまの支援に感謝しております。ウクライナの市民社会と、日本のような国際的な友人との共同の努力によってこそ、最も被害を受けている人々に命の希望を届けることができるのです。私たちが共に行っていることは、深い人間性と相互尊重の表れであり、それが両国の未来の協力の礎となっていくと信じています。

ウクライナ社会は今、日本の皆さまから学んでいます、高齢者への敬意、障害者への対応、支援の文化からです。こうした共同プロジェクトを通じて、誰もが年齢や健康状態に関係なく、尊厳と保護を感じられる新しいウクライナを築けると心から信じています。『パトリオット』を代表して、「ウクライナ高齢者を支援する会」ならびにすべての思いやりある日本の方々に、心から感謝申し上げます。高齢のウクライナ人が「自分は忘れられていない、気にかけてもらえている」と感じられる皆さまの思いやりと行動に、心より感謝いたします。




 
 
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